ヨハネ1:1-3「初めにことば(ロゴス)があった」(No. 1)

以前ある方からヨハネの福音書からお話を聞きたいというリクエストがありました。そんな要請もあり、きょうから、1年以上かけてじっくりとていねいにヨハネによる福音書から講解(exegetical)説教をしていくことになりました。1章の序文プロローグのところからはじまって、時間の許すかぎり、できるだけヨハネの福音書の話にそって順番にお話していこうと考えています。

「ヨハネの福音書」は易しく書かれています。もとの言葉であるギリシャ語で読んでも英語で読んでも難しい単語はあまりでてきません。きょうの箇所ヨハネの1章の序文を英語で読む場合には、日本の中学3年生ぐらいの英語の知識でも読むことができます。

もしみなさんの中に聖書を少なくとも一度は通読してみたいと思われる方がいらっしゃるなら、あるいはイエスキリストがどういう方なのか知りたいと思っている方がいらっしゃるなら、手始めにヨハネの福音書から読み始めることをお勧めします。

私が高校生の時に教会の特別伝道集会に出てみました。そこでかじりかけのマルクスの知識をみせびらかしながら物腰の優しい牧師さんと議論しました。

その牧師さんは、まず聖書を読み、聖書が何と言っているか理解するように私に勧めました。そしてヨハネの福音書の小さな分冊をくれました。

私はそのもらったヨハネの福音書の分冊をむさぼるように読み始めました。私は、「そう簡単にだまされないぞ」と警戒しながらも、慎重にしかし熱心に人生の探求を始めました。このヨハネの福音書を読み終えたあと、不思議なことに電車の中で一人でイエスキリストを信じる決心をしました。

最初はとても懐疑的だったのですが、どうしてこんなにもあっさり信じることができたのか、自分でも不思議でした。ヨハネの福音書はとても人の心を揺さぶる力があり、その中に書かれているイエスキリストという人物が世界一のペテン師でうそつきであると疑い切れなかったのです。

たった一冊のヨハネの福音書によって、自分の世界観、人生観、歴史観が変わりました。そしてイエスキリストを信じることによって、喜びがわきおこり、心に平安が与えられ、愛ということの大切さが少しわかってきたような気がしました。

ヨハネの福音書は、これ一冊でイエスキリストを信じる人を起すほど力ある書物です。ヨハネによる福音書は、これ一冊で人を救いに入れるのに十分な知識を提供します。ヨハネの福音書が書かれた目的は、「イエスが神の子キリストであることをあなたがたが信じ、イエスの名によっていのちを得るためである」(ヨハネ20章31節)と書かれています。

 ヨハネによる福音書は、易しく書かれた書物ですが、本格的に研究し始めると逆に奥がたいへん深いです。単なる歴史以上の、イエスキリストの言葉と行いの霊的な深い意味を多く含んだ神秘的な東洋的な書物です。ヨハネ福音書は、霊的な深さを持っていますので、伝統的な西欧的な思考方法から東洋的ユダヤキリスト教的な思考方法に180度回転させなければ、ヨハネ伝の深みを理解できません。

ヨハネの福音書は、一つ一つの言葉を実に練りに練って深い意味を持たせながら象徴的言語を使って作られています。

例えば、きょうの序文にでてくる「ことば、いのち、光」という言葉も、単なる言語学で学ぶ言語でもなければ、生物学で学ぶ生物的生命でもなければ、太陽光線の光でもないのです。「ことば」も「いのち」も「光」もイエスキリストを指し示す象徴言語なのです。イエスキリストが「ことば」とか「いのち」とか「光」という象徴言語で表現されていて、何を言い表そうとしているのかを理解しようとしますと、奥の深いキリスト探求の道を歩み始めることになります。

きょうは手初めに「言」としてのキリストについてのお話をします。イエスキリストが人格化された(personified)言葉として説明されています。こういう表現を使って、著者は何をいいたいのでしょうか?

ヨハネ伝1章1節から3節までを読んで、聖書は何を私たちに伝えようとしているのでしょうか?

ヨハネ伝1章1-3までを読んでみましょう。

1:1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。

 1:2 この方は、初めに神とともにおられた。

 1:3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。

「はじめにことばがあった」という言い回しは、哲学的な神学的なバックグラウンドがない普通の日本人には、理解するのが困難な表現です。

リビングバイブルという易しくパラフレーズされた聖書は、とうとう「言葉」という称号を棄ててしまって、1章1節をこんなふうに意訳しています。

「まだ何もない時、キリストは神と共におられました」

「ことば」という言葉は、もとのギリシャ語では、「ロゴス」といいます。「ことば」(ロゴス)という考え方

が日本語にはなかったので、初期の宣教師はずいぶん苦心して翻訳しています。

最初の日本語訳聖書は1835年(天保6年)にカール・ギュツラフ(Karl Friedrich Augustus Gutzlaff, 1803~1851)というプロシャの宣教師が翻訳した「ヨハネの福音書」と「ヨハネの手紙」でした。新改訳では「ヨハネの福音書」がタイトルですが、日本ではじめてのギュツラフ訳のヨハネ伝のタイトルは「ヨハンネス、福音の伝え」(『約翰福音之傅』)がタイトルです。

きょうは、まずどうやって日本で最初の聖書が翻訳されるようになったのか、少しお話をしましょう。

日本に岩吉(推定25歳)、久吉(同15)、音吉(同14)という三人の青少年がいました。出身地は、尾張の国、今の愛知県知多郡美浜町小野浦でありました。彼らは1832年(天保3年)の10月11日、尾張米を積んだ千石船「宝順丸」に乗って鳥羽港を江戸へ向かって出発しました。ところが、途中遠州沖で遭難してしまい、14ヶ月間の漂流の後に1834年(天保5年)1月、バンクーバーの近くの北米西海岸ワシントン州のフォートバンクーバーのフラッタリー岬に漂着しました。14人いた船員のうち、生き残ったのは岩吉、久吉、音吉の3人だけだったのです。3人だけ生き残って、三吉(ラッキースリー)と呼ばれるようになりました。
彼らはマカー族のネイティブアメリカンに捕らえられ、奴隷にさせられていました。当時はそこはカナダの貿易会社の植民地であり、そこのハドソンベイ会社の支配人がインディアンを追っ払って彼等を救出しました。カナダには今でもハドソン・ベイという名前の大手の百貨店があります。

そしてハドソン・ベイの船は日本に送り返すために、ハワイ、喜望峰、ロンドンを経て1835年(天保6年)12月、マカオに到着しました。マカオに滞在している間(1835年12月~1837年7月4日)、3人は英国商務省の保護下に置かれ、そこで主席通訳官であり、オランダ伝道協会の宣教師でも会ったギュツラフ(1803~51)の世話になりました。

ギュツラフは何とかして、まだ見ぬ日本の人々に聖書を自分の言葉で読んでもらいたいと日頃から願っていました。ギュツラフはその祈りが聞かれたと感じ、翌年1836年3月、シンガポールにいたアメリカ聖書協会のブリガムに手紙を書きました。「これらの日本人に出会ったのは、千載一遇の好機である。」と説いて、費用を負担してくれるように求めました。その結果、アメリカ聖書協会は、年間72ドルを支払ったと記録されています。

ギュツラフは、彼ら3人を日本語教師として、ヨハネによる福音書 とヨハネの第一、第二、第三の手紙を翻訳しました。翻訳は、183512月より始まり、翌年183611月に完成しました。この聖書は、現存する最初の日本語聖書として有名なギュツラフ訳の「ヨハンネス、福音の伝え」と題されている「ヨハネの福音書」と「ヨハンネスの書簡」です。この本は1837 年シンガポールで発行され、最初の和訳聖書となった。この貴重な翻訳書は、シンガポール大学に収められています。

ギュツラフが岩吉、久吉、乙吉の助けで訳されたものです。この「ヨハンネス、福音の伝え」の1章1節を引用してみます。

「ヨハンネスノツタエ、ヨロコビ。ハジマリニ カシコイモノゴザル。 コノカシコイモノ ゴクラクトモニゴザル。コノカシコイモノゴクラク。」

こういう面白い訳でありました。言を「カシコイモノ」、神を「ゴクラク」、と訳し、しかも尾張の方言を含んでいます。

 この「カシコイモノ」(logos)の訳については三浦綾子が『海嶺』(角川文庫)の中で次のように書いています。

三浦綾子の海嶺をちょっと引用してみます。
「むずかしいな。舵取りさん」音吉が頭を抱えた。(・・・)
(よその国の言葉を、自分の国の言葉になおすって、大変なことやなあ)音吉は、ギュツラフの顔をまじまじと見た。ギュツラフは今までに、何カ国語にも聖書を訳したという。僅か一語でも、これだけ時間をかけて考えねばならない。音吉は改めてギュツラフの偉さを思った。と、久吉がひょうきんな声で言った。「な、昔。良参寺の和尚さんな、善悪のわからんもんは、愚か者やと言うたわな」「ああ言うた、言うた、よう言いなさった」
懐かしい良参寺の境内を思い出しながら、音吉が答えた。
「したらな、善悪をわかる者は、愚か者の反対やろ」
「そうや。それで?」「したらな、愚か者の反対は、賢い者やろ。どうや、舵取りさん」今、ギュツラフは、善悪を判断する智恵と、確かに言った。「なるほど、賢い者か。それがええな」岩吉がうなずき、ギュツラフに言った。「かしこいもの」「カシコイモノ?」ギュツラフは、ノートにその言葉を書いた。

これが三浦綾子の「海嶺」からの引用です。

きっとこんな調子でヨハネ伝の翻訳が進んでいったのでしょう。

5節の「闇はこれに打ち勝たなかった」を「コノヒカリワ クラサニカガヤク タダシワ セカイノクライニンゲンワ カンベンシラナンダ。」(この光は暗さに輝く。ただしわ、世界の暗い人間は、勘弁しらなんだ。)と尾張弁で訳しています。光は暗さの中に輝く。けれども世界の暗い人間は、それに我慢できなかったというのです。
1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。

という14節のことばを尾張弁で訳すとこうなりました。

カシコイモノワ ニンゲンニナラレタ、ワタシドモ トモニオッタ、ワタクシドモ ヒトノクライヲミタ、クライワ チチノヒトリムスコ、ヲンゲイ ホントウニイイイバイ。」(「賢いものは、人間になられた。わたしども共におった。わたくしども人の位を見た。位は父の一人息子。恩げい、本当にいいばい。」)

「恩恵本当にいいです」、つまり「神の恩恵がいっぱいにある」というのです。まだ、十分に、日本語を習得していない外国人の日本語であり、助詞がたりず、尾張弁で分かりにくい部分もありますが、「賢い者は人間になられた。」という訳は、正確で優れた翻訳であるということができます。

やがて岩吉、久吉、音吉は1835年7月にアメリカの商船によって帰国するように取り計らわれます。ところがせっかく江戸までたどりついたのに、江戸幕府の「異国船打ち払い令」によってアメリカの商船が砲撃され、帰国できませんでした。1835年の「モリソン号事件」と呼ばれる事件です。

つまり岩吉、久吉、音吉はアメリカのモリソン号で日本に送り返されたのにもかかわらず、幕府の「異国船打ち払い令」のために幕府はアメリカの商船を砲撃したのです。その結果三人は上陸することができず、母国を目の前にしながら、涙をのんでマカオに戻らなければなりませんでした。音吉は、その後、日英和親条約の通訳を務めるなど活躍しました。音吉は、1867年にシンガポールで病死しました。現在、彼らの出身地である愛知県知多郡美浜町小野浦にある墓の近くに記念碑が建てられています。

私がシンガポールにいたころ、シンガポールの墓で音吉の墓が存在したという資料が発見されたニュースが伝えられました。日本の愛知県美浜町が送った劇団がシンガポールで演劇の公演があり、私もそれを見にいきました。その後乙吉の墓が発見され、2005年2月に173年ぶりにその遺骨がシンガポールから愛知県美浜町に戻りそのことがニュースになりました。

以上が、日本で最初の聖書のヨハネ福音書が翻訳されるようになったいきさつです。

さて、残りの時間で、ことばとしてのイエスキリストとはどういうことなのか、そして、ヨハネ伝の1章1節から3節までで、何を私たちに伝えようとしているのかをお話いたします。

ヨハネ伝冒頭に、キリストの称号を現す「ことば」という表現があります。こういうキリストの称号としての「ことば」という表現は、新約聖書には他に2箇所しかなく、それはみなヨハネ文書の中にあります。

最初がヨハネ第一の手紙1章1節にある「ことば」です。

1:1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、

1:2 ──このいのちが現れ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現された永遠のいのちです。──

もう一つが黙示録19章13節です。

19:13 その方は血に染まった衣を着ていて、その名は「神のことば」と呼ばれた。

19:15 この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。

15節は、「ことば」(ロゴス)を解明する一つの手がかりです。「この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。」つまり神の「ことば」であるキリストは、口からみことばの剣を出す、支配者、世界の裁判官なのです。

「ロゴス」は何もしないで、ただ世界を見つめているのではなく、ことばとして肉体をとった人間として世界に突入し、人間の世界に介入していく啓示者なのです。

キリストは肉体をとってご自分を現された神の啓示者なのです。

当時「ロゴス」ということばは、ギリシャ人にもユダヤ人にも色々な形で広まっていた流行語でありました。

この「ロゴス」は、ユダヤ的背景としては、旧約聖書や中間時代の「ソロモンの知恵」などの知恵文学があります。例として「ソロモンの知恵」9章1-2を引用しましょう。

「先祖たちの神、憐れみ深い主よ、あなたは言によってすべてを造り、知恵によって人を形づくられました。」

(他に「ベンシラの知恵」24:2-3などを参照のこと)。

ギリシャ的ヘレニズム的背景としても「初めにことばがあった」と論じる人たちがいました。ギリシャ哲学者ヘラクレートス(Heraclitus, 545-484B.C.)、ストア派哲学(Stoics)、ユダヤ教の哲学者フィロン(Philo, 30B.C.-40 A.D.)そしてギリシャ哲学の影響を受けたキリスト教の異端のグノーシス主義(Gnosticism)などが「はじめにことばがあった」と説いています。こういう思想をいちいち説明する時間がありませんし、これを説明しはじめたら、みなさん退屈するだろうと思いますので省きます。また私は、3世紀から6世紀の教父哲学のロゴスキリスト論を持ち出すつもりもありませんので、これは省きます。

とにかく、ギリシャ哲学の教科書を見るとわかるのですが、ギリシャ哲学は、「初め」(アルケー)が何なのかを探求する営みからはじまりました。世界の根源は何からはじまったのか探求しようとしました。多くのプリミティブな初期の哲学は、水とか元素とか、被造物の中だけで世界の始まりを説明しようとしました。ヨハネの福音書の序文プロローグでは、ギリシャ哲学が探求していたその「初め」がキリストである、という答えを私たちに与えてくれているのです。

とにかくヨハネ福音書が書かれたエペソというという場所は、ギリシャ文化ヘレニズム文化とヘブライの文化が交流するような場所でした。そういう場所に流れるさまざまな思想との関連を意識しつつ、キリスト教のメッセージの独自性を説いています。

ロゴスということばは、当時の知識階級が好んだことばでした。ロゴスという言葉を使って、世界の原因とか、どうして世界ができるようになったか、などの説明がななされていました。

ロゴスという当時盛んに使われたことばを用いて、キリストを説明しようとしたと思われます。

「初めにことばがあった」という言い方の最も直接的な思想的な背景は旧約聖書にでてくることば(ダーバール)です。ことば(ロゴス)というキリストの称号は、旧約聖書から展開されたと考える十分な理由があります。「初めに」は創世記1章1節の「初めに」を意識しています。

詩篇の33篇6節には、主の言葉によって天が造られたと書かれています。

33::6 【主】のことばによって、天は造られた

  天の万象もすべて、御口のいぶきによって。

ことばによって万物は創造されたのです。

さらに主はことばを送って人々を救われたという表現が詩篇107:19-20にあります。

07:19 この苦しみのときに、彼らが【主】に向かって叫ぶと、

  主は彼らを苦悩から救われた。

 107:20 主はみことばを送って彼らをいやし、

  その滅びの穴から彼らを助け出された。

さらに旧約聖書では、主は言葉によって啓示し、ことばによってアクションを起すと語られています。

イザヤ書55:11がその代表です。

55:11 そのように、

   わたしの口から出るわたしのことばも、

   むなしく、わたしのところに帰っては来ない。

   必ず、わたしの望む事を成し遂げ、

   わたしの言い送った事を成功させる。

 

神はことばを発して創造し、ことばによって世界を保持し、言葉によって人に約束をし、言葉によって人にご自分を啓示し。ことばによって人を救うのです。

旧約聖書で言われている「ことば」は、ギリシャ哲学で見られるような静かに遠く離れて客観的にスタティックに観察(観想セオーリア)するようなものではなく、ことばはダイナミックで具体的なアクションをを引き起こし、言葉を受け取る人に変化をもたらすようなものなのです。新約聖書を読む前のみなさんと読んだあとのみなさんは同じみなさんではありません。何かが起こります。神の言葉は人を変える力があります。

旧約聖書では、神の言葉は重要な役割を果たしています。神は、世界をそのことばによって創造しました。神の言葉は、神の方から有無を言わさず臨んでくるものです。ダイナミックに具体的に相手に迫るものです。神のことばは神の生きた行為であります。神の言葉は神の行為と同じなのです。

つまり神のことばであるキリストは、人間の世界にアクションをもって飛び込んできて、神がどういう方なのかをことばと行いによって示した啓示者という意味なのです。

 

何だか難しいことばかり聞いてあまり聞きたくないと思われる方、これからやさしくなります。大切な本題に入りますので、よく聞いていてください。

ヨハネ1:1-3をもう一度読みます。

1:1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。

 1:2 この方は、初めに神とともにおられた。

 1:3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。

この

ヨハネ伝1章1節から3節までに5つのことをお話します。

第一に、イエスキリストは生きた神のことばです。キリストは、神の啓示者です。啓示とは、人間に神の真理を示すことです。キリストは人間に神様がどういうお方か、なにがみこころか、神様の救いは何なのかを示される方です。

神と言ってもどういう方なのか漠然としていて人間にはよくわかりません。そういう人間に神がどういう方なのか示してくださる方、これがキリストなのです。

キリストが言葉であるとは、神の真理を伝えてくださる啓示者である、という意味です

「初めにことばがあった」、とは「初めに啓示者がいた」という意味です。

私たちが使っていることばの働きについてちょっと考えてみましょう。

普通私たちが使っている言葉は、伝達コミュニケーションの媒体です。同じように、イエスキリストも、神の意志を伝え、神ご自身をあらわす神と人との仲介者です。

キリストは、神の意志を表現する啓示者なのです。

人間は、ことばなるキリストにおいて、神と出会うことができます。神のことばを頭の中だけで理解するのではなく、イエスキリストと交わることによって、神を体験的に知ることができるのです。

第二に、「初めに」とは、キリストの先在性、永遠性を意味する表現です。キリストは世界ができる前から永遠に存在しておられる方です

1:1 初めに、ことばがあった。

1:2 この方は、初めに神とともにおられた。

キリストはマリヤから生まれました。しかしキリストはマリヤから生まれる前から先に初めから永遠に存在していたのです。

ヨハネ8章58節を引用します。

8:58 イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです。」

 8:59 すると彼らは石を取ってイエスに投げつけようとした。しかし、イエスは身を隠して、宮から出て行かれた。

この8章の言葉は、ギリシャ語でも英語でも変です。

英語だとこうなります。

Jesus answered, “before Abraham was born, I am!”

これは文法を破った言い方です。

もし文法的に言うならば、

Before Abraham was born, I was!

「アブラハムが生まれる前から私はいました。」というべきところを、アブラハムが生まれる前から私はいるし、いまも存在しているという意味で、「私はいるのです」とイエス様はおっしゃったのです。

キリストは歴史が始る前から存在していました。キリストが存在しなかった時はないのです。イエスキリストを描写すると、文法を壊してしまうのです。

第三に、父なる神とキリストとは、ともにあったと書かれています。これは、別個の位格(パーソン)であり、その父なる神とキリストとの間に位格間(パーソンとパーソンの間で)交わりがあったということを意味します。

1:1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。

1:2 この方は、初めに神とともにおられた。

1節と2節の「共に」という言葉が、三位一体間の親しい交わりをあらわします。

三位一体間の交わりが世界が存在する前からあったのです。そのことがイエスキリストが十字架にかかる前の大祭司のお祈りの中に示されています。

ヨハネ17章5節にこう書かれています。

17:5 今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。世界が存在する前に、ごいっしょにいて持っていましたあの栄光で輝かせてください。

三位一体間の交わりがあり、御父が御子とともにいるという関係があって、そこから、神様が私たちと共にいるという関係ができます。さらに私たちが共にいるという私たちの交わりが作られていきます。

父なる神と子なる神キリストとの親しい交わりがあって、はじめて、神と人との親しい交わりに発展し、さらに私たち同志の親しい交わりに発展するのです。神がともにいてくださる、という体験は、三位一体間の「共に」ある交わりから派生してきたものです。

さらに神と人との親しい交わりがあって、はじめてクリスチャン同士の共にある交わりに発展するのです。クリスチャン同士の交わりは、三位一体間の交わりから派生したものです。

第四に、ヨハネ1章1-3でわかることは、キリストの神性であります。キリストは神そのものであります。

1:1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。

1節はキリストの神としての性質が書かれています。キリストは神的人格であり, 神そのものなのであるという意味です。

キリストは本質において、神と等しいという意味です。

ここは、神に冠詞がないので、「ことばは神的な性質をもっていた」とも訳すことができます。父なる神とキリストとは、本来は従属的な関係ではなく、対等の関係を表すことばです。

キリストは神である、ということを否定する人がいます。でもヨハネ福音書はイエスキリストが神としての性質をもっていることを最もよく説明した文書です。何故キリストでなければならないのか、神様がいることを信じるけれども、どうしてキリストでなければならないのか、その答えは、キリストは神様だからなのです。

第五に、きょうの聖句は、キリストは創造者であることを示しています。

1:3 すべてのものは、この方によって造られた。

さらに強調しだめ押しして、

1:3 造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。

と語られています。

キリストは創造者であって被造物ではありません。

キリストは直接の創造者であります。

ここで大切なことは、父なる神は、キリストによってキリストのためにすべてのものが創造されたことです。

コロサイ1章16-17節を見てください。

1:16 なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。

 1:17 御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。

後半の5つのポイントをもう一度おさらいしてみます。

第一に、キリストが「ことば」であるとは、キリストは神様がどういう方なのか、示してくださった啓示者であるということです。

第二に、「初めにことばがあった」とは、キリストは世界が始る前からおられたかただ、ということです。

第三に、ことばは神とともにあった、ということは、キリストは父なる神と人格的な交わりを持たれている御子なる神であるということです。

第四に、ことばは神であるとは、キリストは神であるということです。

第五に、キリストは私たちを造られた創造者であり、私たちを支えておられる保持者であるのです。

この五つのことをきょう覚えて、キリストを賛美しながら、キリストを礼拝しましょう。