きょうはグローリーチャーチ高松という名前で教会がスタートして創立2周年記念礼拝というお祝いの時であります。
グローリーチャーチ高松という名前でこの教会が再スタートしたのは2年前の2015年のことでした。
過去のことを振り返り、現在私たちがどういうところにいるのか考え、そして将来のビジョンを持つことは有益なことであると考えます。
そのため、過去のことをもう一度振り返ってみましょう。
この教会の前身は高松聖書教会という名前で、今から46年前の1971年10月にTEAMの宣教師であったラルフカックス宣教師の開拓伝道によってはじまりました。現在の場所に移ってきたのは今から36年前の1981年4月のことでした。
その後前の牧師がいなくなり、教会は試練の時を迎えました。それは教会の存亡が問われる時でした。しかし、神様は群れを守り、新しいビジョンを与えてくださいました。
それは、専任牧師を招聘し、さらに名前を変えて再出発するということでした。
それが現実のものとなったのが2015年でした。
臨時総会で教会の名前が変更されたのは2015年2月1日、グローリーチャーチ高松の法人規則が作成されたのは2015年4月1日、代表役員兼牧師が与えられて教会が正常に機能しはじめたのが2015年8月1日、宗教法人の認可を受けたのは2015年10月5日、という歩みをたどっていますので、どの日を創立記念日にするべきか、解釈が難しいところです
法律的には、グローリーチャーチ高松という宗教法人が認可を受け宗教法人番号が指定されたのは2015年10月5日のことでした。ですから法律的には、10月5日が2周年ということになります。しかし私と家内がカナダより高松に到着したのが7月末のことで、勤務開始が8月1日から始まりました。そして2015年8月1日付で私が宗教法人グローリーチャーチ高松の代表役員となりました。代表役員が決まってグローリーチャーチ高松という名前で正式に正常に教会が機能しだしたのが8月1日ですので、一応創立記念日を8月の第1日曜日ということになりました。
2015年に教会の名前が変わり、新しい牧師が与えられてもう2年たったんだなあ、ということで2周年記念が礼拝と考えていただければいいのではないかと思っています。今日は賛美チームも急きょ曲目を変えて、グローリーチャーチにちなんで「輝け主の栄光」をみなさんといっしょに賛美したわけです。
過去2年間を振り返り、普通のプロテスタントの教会として、比較的平和でおだやかな歩みができたのかなと思っています。傷ついた無牧の教会から普通の教会になった、内容もどんどん充実してきた、これが現在の私たちの状態かなと思います。このことをまず神に感謝すべきであると思います。さらに2017年の総会で新しいビジョンが与えられました。それは、いつまでも普通の教会のままではいけない。傷ついた教会から普通の教会になった。さらにここから脱皮して、熱心に祈る教会へ、伝道的な教会へと脱皮していこうと願っています。10月に今までになく大きな特別伝道集会を持つことになりました。伝道を目的とした「野のゆり会」を立ち上げました。求道者クラスや講演会を持つようになりました。スモールグループの数が増えただけでなく、各スモールグループの中で伝道しようという動きがでてきました。いろいろな形で福音の種をまき始めました。こうした種まきの活動が喜びの収穫の時となることを願いながら、証していく教会としてもう一回りも二回りも大きく成長していきたいと願っています。
さて今日のみ言葉の解き明かしの時に入っていきましょう。
ヨハネ1:19-28「バプテスマのヨハネ」 (No. 7)
先回でヨハネ伝の序文(プロローグ)の話を終え、ヨハネ伝の説話(narrative)の部分に入っていきます。ヨハネ福音書ほど「時」を詳しく記述した福音書は他にありません。今日の箇所から2章11節まで、ヨハネ福音書はイエスの公の生涯の大切な最初の一週間を順を追ってしるしています。1章2章でヨハネ福音書は、イエスの公の生涯の豊かで貴重な最初の一週間を書き記しています。この一週間の中に三種類の証がでてきます。
第一の証が第一日目と二日目のことで、1章19節から34節にバプテスマのヨハネの証がでてきます。
第二の証が第三日目と四日目のことで、1章35節から51節にイエス様を受け入れ弟子になったアンデレ、シモンペテロ、ピリポ、ナタナエルの証がでてきます。
第三の証が、第七日目のことで、イエス様自身の素晴らしい奇跡による証が書かれています。第四福音書は、イエス様がユニークで偉大な存在であることを三種類の証によって私たちに語っています。
この充実した最初の一週間で、イエス様がだれであるのか、何故イエス様が私たちにとって重要であるのか、またイエス様との出会いがどうして人生の転換期になるのか、などを学びとることができます。この一週間は、イエス様が救い主キリストであることを指し示す大切な一週間であるといえます。
では、きょうのテキストに入っていきましょう。きょうの箇所は、第1日目のところ、ここにはバプテスマのヨハネによる証が記されています。
1章19節を見てください。
1:19 ヨハネの証言は、こうである。ユダヤ人たちが祭司とレビ人をエルサレムからヨハネのもとに遣わして、「あなたはどなたですか」と尋ねさせた。
「ユダヤ人」というのは変な言い方であるとは思いませんか?イエス様も弟子達もユダヤ人なのですから。この「ユダヤ人」というのは、もう一世紀の終わりころのキリスト教会の立場で書かれているので、こういう書き方をしているのです。このころはキリスト教会は完全にユダヤ人教とは分離しておりまして、ユダヤ教徒でなければユダヤ人とは言われない社会背景だったのです。ヨハネ福音書が使う「ユダヤ人」というのは特別な用語でありまして、
その当時のクリスチャンは人種的にはユダヤ人ですが、宗教的にはユダヤ教徒ではなくなっていたのです。ヨヨハ福音書ネが書かれた1世紀末の言い方では、ユダヤ人とは人種的にユダヤ人であるだけでなく、宗教的にユダヤ教徒であり、まだイエスをキリストを受け入れていない立場の人をさした言葉だったのです。
そのユダヤ教の当局から遣わされ、ユダヤ教の宗教裁判のためにエルサレムからレビ人が遣わされた人々がいました。その人々がバプテスマのヨハネに三つの質問をしました。
第一の質問は、バプテスマのヨハネはキリストかどうか?救い主かどうかという質問です。答えはNoです。
1:19 ヨハネの証言は、こうである。ユダヤ人たちが祭司とレビ人をエルサレムからヨハネのもとに遣わして、「あなたはどなたですか」と尋ねさせた。
1:20 彼は告白して否まず、「私はキリストではありません」と言明した。
第二の質問はバプテスマのヨハネはエリヤかどうかという質問です。
1:21 また、彼らは聞いた。「では、いったい何ですか。あなたはエリヤですか。」彼は言った。「そうではありません。」
エリヤは紀元前9世紀にイスラエルに現れた偉大な預言者でありました。不思議なことですけれども彼だけは死ぬことなく、神に連れ去られて天に昇ったことが列王記下の2章11節に記されています。
2:11 こうして、彼らがなお進みながら話していると、なんと、一台の火の戦車と火の馬とが現れ、このふたりの間を分け隔て、エリヤは、たつまきに乗って天へ上って行った。
ところがマラキ書3章1節に使者が道を備えることが預言されています。
マラキ書3章1節を引用します。
3:1 「見よ。わたしは、わたしの使者を遣わす。
彼はわたしの前に道を整える。
あなたがたが尋ね求めている主が、
突然、その神殿に来る。
あなたがたが望んでいる契約の使者が、
見よ、来ている」と万軍の【主】は仰せられる。
さらに4章5節にも終末の前にエリヤが来ることが預言あれています。
4:5 見よ。わたしは、
【主】の大いなる恐ろしい日が来る前に、
預言者エリヤをあなたがたに遣わす。
と神は予告なさいました。
多くのユダヤ人たちは、エリヤの到来をメシヤの先駆けであり、終末のしるしと見ました。バプテスマのヨハネはエリヤではないと言ったわけです。
ところがマタイマルコルカ福音書は揃ってバプテスマのヨハネはメシヤの先駆けとして遣わされたエリヤであると教えているのです。この違いはどう考えたらいいのでしょうか?
実はユダヤ人たちが考えていたエリヤは文字通り火の車に乗って天に連れさられたエリヤその当人がもう一度終わりの日の来る前に天から下って来ると信じて、そういうエリヤを待ち望んでいたのでした。
ところがマタイマルコルカ福音書は、バプテスマのヨハネは物理的な意味で昔のエリヤそのものであると言ったのではないのです。
ルカ1章17節を見てください。
1:17 彼こそ、エリヤの霊と力で主の前ぶれをし、父たちの心を子どもたちに向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、こうして、整えられた民を主のために用意するのです。」
マタイマルコルカ福音書は、バプテスマのヨハネはエリヤそのものというよりもエリヤ的スピリットをもって道を整える役割を果たす預言者であるという意味でバプテスマのヨハネがエリヤであると言っているのです。バプテスマのバプテスマが自分はエリヤではないと言ったのは、同じエリヤが再来するという間違った期待を捨てなければならないという意味で自分はエリヤではないと行ったのです。
第三番目の質問は、「あなたはあの預言者ですか」という質問でした。その答えはNoでした。
1:21 また、彼らは聞いた。「では、いったい何ですか。あなたはエリヤですか。」彼は言った。「そうではありません。」「あなたはあの預言者ですか。」彼は答えた。「違います。」
「あの預言者」という預言者は、イザヤやエレミヤやエゼキエルのような預言者をさしません。あの預言者とは、申命記に預言されている特別なあの預言者をさします。預言申命記8章18節には、モーセ亡き後将来モーセのような特別な預言者を起こすいう予告があります。そのモーセのように顔と顔を合わせ(申命記34:10)自由に神様と話しができる預言者があの預言者がいつ現れるのか人々は期待して待ち望んでいました。
申命記18章18節を見てください。
18:18 わたしは彼らの同胞のうちから、彼らのためにあなたのようなひとりの預言者を起こそう。わたしは彼の口にわたしのことばを授けよう。彼は、わたしが命じることをみな、彼らに告げる。
使徒の働き3章22節や7章37節を見ますと、「あの預言者」とはイエスキリストのことであるという説教があります。
使徒3章22節を読んでみます。
3:22 モーセはこう言いました。『神である主は、あなたがたのために、私のようなひとりの預言者を、あなたがたの兄弟たちの中からお立てになる。この方があなたがたに語ることはみな聞きなさい。
さらに使徒の働き7章37節には、ステパノの説教の中で、モーセのような預言者が起こされるという話があります。
7:37 このモーセが、イスラエルの人々に、『神はあなたがたのために、私のようなひとりの預言者を、あなたがたの兄弟たちの中からお立てになる』と言ったのです。
「あの預言者」とはキリストのことであるとあとになって教会が理解しました。しかし当時のユダヤ人は、「あの預言者」はメシヤキリストとは区別されて理解されていました。
それで「あなたはキリストですか」という質問と「あの預言者ですか」という重複した質問がなされたのでした。
22節23節を見てください。
1:22 そこで、彼らは言った。「あなたはだれですか。私たちを遣わした人々に返事をしたいのですが、あなたは自分を何だと言われるのですか。」
1:23 彼は言った。「私は、預言者イザヤが言ったように『主の道をまっすぐにせよ』と荒野で叫んでいる者の声です。」
「主の道をまっすぐにせよ」というのは、イザヤ40章3節の預言の引用です。
イザヤ40章3節を引用して見ましょう。
40:3 荒野に呼ばわる者の声がする。
「主の道を整えよ。
荒地で、私たちの神のために、
大路を平らにせよ。
40:4 すべての谷は埋め立てられ、
すべての山や丘は低くなる。
盛り上がった地は平地に、
険しい地は平野となる。
「主の道」とは、主なる神様がイスラエル民族を導いて、
バビロニア帝国の捕囚から解放し、バビロンから聖地イスラエルまで連れ帰らせる道のことです。40章4節は、道が平らになり、でこぼこがまっすぐになるという意味です。まるで道を作る時のブルドーザーのような働きがあるという預言です。
そのイザヤ40章の預言は福音を伝える者とメシヤの出現の預言があります。
40:9 シオンに良い知らせを伝える者よ。
高い山に登れ。
エルサレムに良い知らせを伝える者よ。
力の限り声をあげよ。
声をあげよ。恐れるな。
ユダの町々に言え。
「見よ。あなたがたの神を。」
40:10 見よ。神である主は力をもって来られ、
その御腕で統べ治める。
見よ。その報いは主とともにあり、
その報酬は主の前にある。
40:11 主は羊飼いのように、その群れを飼い、
御腕に子羊を引き寄せ、ふところに抱き、
乳を飲ませる羊を優しく導く。
当時の中東の道は、舗装された道ではありませんでした。ただの砂利道で時には道なき道でありました。王が領地を訪問なさる時や支配者がその領土にむかって旅たつ前に、道路が整備されることがよくありました。
同じように、バプテスマのヨハネもイエスキリストが私たちの心の中に入りやすいように、イエスキリストがどういう方なのかを紹介し、キリストを受け入れやすくしたのでありました。福音は、高ぶった心を低くし、優越感をなくさせて人を謙虚にさせます。また福音は劣等感で落ち込んでいる人を立たせ希望を与えます。そしてキリストを王とし主としてお迎えし、キリストを受け入れやすくするのがバプテスマのヨハネの働きでありました。キリストに関する誤解や偏見を除き、罪の悔い改めを説いてキリストを受け入れやすい素直な心になるように助ける人、これが証し人バプテスマのヨハネの働きでありました。
バプテスマのヨハネは、自分は声に過ぎないといいました。
ヨハネ1章23節。
1:23 彼は言った。「私は、預言者イザヤが言ったように『主の道をまっすぐにせよ』と荒野で叫んでいる者の声です。」
ヨハネは自分の名前を言わずに、自分はキリストを紹介し、キリストを受け入れるための道備えをしている者に過ぎない、と自分の役割を説明しています。声にすぎないとは、キリストをただ指し示す紹介者に過ぎないという意味です。
自分は「みよ、神の子羊」「この人を見よ」と言って声を大にしてキリストを指し示すキリストの紹介者に過ぎないと言っているのです。
人によっては、キリストを口で証しなくても、クリスチャンらしいよい行いをすれば、それでいいのだ、と思っている人がいます。行いでの証は大切ですが、声がなければ証とは言えません。「この方を見てください」「偉大なこの方と出会ってください。」そうやって声を出してキリストを紹介する者、これがキリストの証人の務めなのです。
さらにバプテスマのヨハネは自分はそのキリストに比べれば全然価値が低いものであると自分を表現しています。
1:25 彼らはまた尋ねて言った。「キリストでもなく、エリヤでもなく、またあの預言者でもないなら、なぜ、あなたはバプテスマを授けているのですか。」
1:26 ヨハネは答えて言った。「私は水でバプテスマを授けているが、あなたがたの中に、あなたがたの知らない方が立っておられます。
1:27 その方は私のあとから来られる方で、私はその方のくつのひもを解く値うちもありません。」
「靴のひもを解く」というのは、奴隷の中でももっとも卑しい仕事であると考えられていました。豊臣秀吉は最初は木下藤吉郎と呼ばれていました。藤吉郎は一番身分の低いぞうりとりからはじまりました。織田信長に仕える時、一番最初の仕事がぞうりとりでありました。昔武士のいくさ用のぞうりはわらじで作られておりひもがありました。殿様が玄関に出入りする時に、ぞうりのひもを解いて部屋の中に入る手伝いをする役目をしました。彼は冬にぞうりを胸に入れて暖めておき、殿様がいらっしゃった時にすぐにぞうりを出すということをしたと言い伝えられています。すると信長がいいました。「このぞうりは暖かい。おぬし、わしのぞうりをしりでしいておったな」するとと藤吉郎は答えました。「殿、めっそうもございません。私が殿のぞうりをしりにしくなどそうしてできましょうか。寒い中少しもみ足を暖かくしていただこうとずっとぞうりを胸の中に入れておりました。」織田信長はそれが気に入って、それがきっかけで木下藤吉郎は出世することになったと伝えられています。とにかくわらじのひもを解いたりする仕事は一番卑しい者がする仕事でした。
バプテスマのヨハネは、自分のあとから来られるキリストと比べると、自分は価値が低いものであると説明しています。偉大なキリストと比べると「雲泥の差」だ
、「月とすっぽん」だと自分を謙遜して紹介しています。靴のひもを解くのは一番身分の低い奴隷がする仕事でした。自分の価値は、キリストと比べると、その方の靴のひもを解く価値もない小さな者にすぎません、と自分を表現しています。
多くの人が、自分がどんなに立派であるか、どんなに偉い者である、どんなに優れているか、自分の栄光をあらわそうとして生きます。しかしクリスチャンはそういう生き方をするべきではありません。自分の栄光を現すためにいきるのではなく、神の栄光を現すために生きる、これがクリスチャンの生き方です。自分のすばらしさを現そうとして生きるのではなく、キリストをたたえ、謙遜になってキリストを紹介する人、これが証し人なのであります。
「この方を見てください」「この偉大な主をまっすぐに心に迎え入れてください」とキリストが心の中に入るように道備えをする人、これが証し人であります。自分の名前を売り込むのではない、偉大なキリストを指し示す名もなき声、これが証し人なのであります。ヨハネは徹底的に自分のことは控えて謙遜にキリストを紹介することに全力を尽くしました。他の福音書を見ますと、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」(マタイ3:2)と悔い改めを迫っています。罪を悔い改めて心の備えをさせ、あとから心の中に入ってくるキリストに出会いさえすればいいように道を開いた人、これがバプテスマのヨハネでありました。
バプテスマのヨハネは、キリストのことを「世の罪を取り除く方」(29節)世の始まる前に先におられた方(30節)、聖霊を注がれるかた(33節)神の子(34節)としてキリストを紹介しました。
私たちも、バプテスマのヨハネにならって、謙遜にキリストを紹介する者になりたいものだと思っています。
1:26 ヨハネは答えて言った。「私は水でバプテスマを授けているが、あなたがたの中に、あなたがたの知らない方が立っておられます。
多くの日本人はキリストがどんな方か知りません。だからこそ、バプテスマのヨハネのようにキリストを証し、キリストを自分に紹介してくれる証人が必要なのです。
バプテスマのヨハネは洗礼を授けた人でありました。きょうは残りの時間で洗礼の意味について少し説明したいと思っています。
バプテスマのヨハネは浸礼で洗礼を授けた人、洗礼運動をした人でありました。
彼はマルコ伝1章4節から7節までお読みします。
1:4 バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪の赦しのための悔い改めのバプテスマを宣べ伝えた。
1:5 そこでユダヤ全国の人々とエルサレムの全住民が彼のところへ行き、自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けていた。
1:6 ヨハネは、らくだの毛で織った物を着て、腰に皮の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。
1:7 彼は宣べ伝えて言った。「私よりもさらに力のある方が、あとからおいでになります。私には、かがんでその方のくつのひもを解く値うちもありません。
マルコ1章14節に注目してください。どういうバプテスマなのかが書かれています。バプテスマとは、「罪の許しのための悔い改めのバプテスマ」なのです。
つまり私たちが自分が罪人であることを認め、神様の前に出てその罪を心から悔いて神様にお詫びをしなければ洗礼を受けることはできません。
もうひとつマルコ伝1章15節の順序に注目してください。
人びとは、罪を悔い改めたあとで水の中に入って洗礼を受けています。
私たちの教会は、幼児洗礼を否定します。どうしてかというと、聖書は幼児洗礼を語っていないからです。聖書の語る洗礼は罪が赦されるための悔い改めの洗礼です。本人が罪の悔い改めと神に対する信仰がまだないときに、洗礼を受けても意味がありません。本人が自分が罪びとであることを認め、それを悔い改め心から信仰をもって洗礼を受けなければそれを聖書的な正しい洗礼であると認めないのです。
この教会では、聖書に基づき「信仰者の洗礼」(Believer’s baptism)を強調します。本人の信仰に基づかない洗礼は、聖書的洗礼とは認めないのです。
もう一つ、この教会では浸礼(baptism by immersion)といって水にどっぷりつかる洗礼を授けます。バプテスマのヨハネはヨルダン川で洗礼を授けました。イエスキリストも洗礼運動をしました。ヨルダン川に入って洗礼を受けたのですから、水のなかにつかったはずです。お皿にちょっと水を入れ、頭から数滴の水をたらしたような洗礼ではなかったはずです。どうして滴礼ではなく浸礼にこだわるのかと申しますと、ギリシャ語ではバプテスマの動詞形「バプティゾー」という言葉は、浸す、つける、to immerseという意味だからです。どんなギリシャ語の辞書を調べても、洗礼を授けるということは、to immerseという意味だと書かれています。つまり洗礼baptismということは原則的には水につける洗礼、浸礼だということなのです。この教会は、聖書に基づき信仰者の洗礼を大切な教えであると信じているわけです。私たち一人一人が聖書の光に照らされて、聖書に基づいた洗礼の理解を深めていくことを願っています。